ハケンの畦道

ハケンとして働いて思うことあれこれ。

70年代最期の高校生としては。

今週のお題「アイドルをつづる」
中学から高校くらいまで好きだったのは野口五郎。五郎さんというべきか。
でも、五郎さんの顔や声や動き方は大好きだったけど、歌っている曲は好きじゃなかった。歌詞が古臭くてね。曲は郷ひろみのほうが好きだった。
友達が週刊誌の切り抜きとかくれたっけなあ。切り抜きは週刊誌が入っていたらしい皺だらけの袋に入っていた。たぶん親に内緒でこっそり持ってきてくれたんだろう。中学校の教室で貰って学生鞄に入れていると、なんか悪いことしているような気分になって、ドキドキしてしまった。
写真の周りに、篠山紀信っていう写真家のインタビューが載ってた。
彼が五郎さんを初めて見たとき、あまりに儚げで、芸能界でやっていくのは彼には辛いだろうね、というようなことを口にした。そしたら、それが五郎さんに伝わって、五郎さんはとても傷ついたのだと。
そんなつもりはなかった、これからは気をつけようと写真家は思ったのだそうな。
五郎さんに写真家の呟きを伝えたのはおそらく写真家の取り巻き。そこには明らかに、悪意がこもっている。
けれど写真家は自分が軽率だったと自らを戒めていた。私は篠山紀信が好きになった。
高校生になって、自分でレコードを買うようになって、応接間にあったステレオを自分の部屋に持ってきて、私のアイドルは海の向こう、アメリカ大陸やヨーロッパに遠く離れてしまった。
けど、その方がいいな。アイドルは遠くにありて想うもの。
外国に憧れはないけど、オリーブ色の肌や翠の瞳、しなやかに伸びた大理石の脚や銀の滝のような髪には、小柄なアジア人として素直に憧れる。大陸の砂漠を突き抜ける歌声や、ギターの上で踊る指、ドラムスティクを優雅に操る手の甲を、いつまでも見つめていられる。
アイドルに対して、無責任でいたいんだ。他所の国の、美しく才能のある人たちに、純粋に楽しませて欲しいだけ。
彼らの苦しみや悲しみは、どうでもいいんだ。

でもね。
西城秀樹
ヤングマン、あの頃はプロデューサーに無理矢理歌わされてると思ってたけど、違った。自分で曲を見つけてきて、振りつけなんかも自分で考えていたって。
それを聞いて、ほっとしたんだ。やらされていたんじゃなかったって。彼は歌や踊りを楽しんでいるように見えた。それは本当だったんだ。
西城秀樹は、本物だったんだ。

美しいひとが美しくあり続けるには、非常な努力が必要。それを畦道のような凡人は、わずかなお金を支払うことで楽しむことができる。
それは、やっぱり、その人が好きだから。私は楽しめて幸せ。そして、素敵なあなたにも幸せでいて欲しい。

わりと、いや、かなり好きだった女優が逮捕された。
彼女は幸せだったのかな。好きな男性と一緒にいられて、幸せだったのかな。